欠陥車問題

43年6月滋賀県蒲生町、44年3月京都伏見の名神高速道路上の目産マイクロ・パス、エコーのプロペラシャフト(推進軸)が焼ききれるという事件が表面化し、乗用車の売行きがおちて欠陥車問題が世間の注目をあびました。


中古車情報によると当時の原田運輸相のコロナ、ブルーバードの総点検への指示44年6月10日、11日の衆議院運輸委員会での道路運送法改正案の審議過程で最高潮に達した。


そしてわたしたちの国の自動車工業が、組立メーカー、ついで部品メーカーの順で近代化②され、貿易、資本の自由化にあたって部品工業の合理化がおくれたこと、言葉をかえれば、コストダウン競争による下請部品会社ヘシワよせしたことから、部品メーカーがややもすれば粗悪品を生産したことが明らかとなりました。


欠陥車

企業再編成のかたわら、乗用車の安全問題が欠陥車の指摘という形でわたしたちの国に波及し、いっそうメーカーを混乱させました。


中古車情報によると、アメリカでは、昭和41年にネーダーがGMのコルベアを欠陥車と攻撃し社会問題としたため、メーカーがみずから欠陥車の回収を運輸省へとどけ、ユーザーに書留便で通報する制度がつくられました。


そしてその欠陥は新聞に公表されます。ことになりました。


ついで当時のアメリカ交通安全局ωが、日本、イタリア、イギリスの輸入欠陥車の回収率がアメリカ車にくらべ新聞に公表されないため、10~20%低いことを発見し、44年5月12日のニューヨーク・タイムスにその公表を提案したことから、トヨタのコロナのブレーキ液もれ、日産ブルーパードの気化器(キャブレター)のガスもれが明らかになりました(44年5月28日、読売、毎日、朝日)。


はじめまして

はじめまして!今日からブログを始めましたー★


中古車情報や車の歴史などを更新していきたいと思います。


ロータリー・エンジン車を累計85万台を生産した東洋工業へ、ロータリー・エンジンの将来性、すなわち、小型高馬力で騒音、振動が少なく航空機、船舶、戦車に適用できることを注目し、トヨタ、日産に追われ世界市場の回復をめざすフォルクス・ワーゲンが接近したものです。


だが、52年に入るとフォードも東洋工業に接近しはじめ、同年11月交渉再開、受託生産の提携強化、さらに53年6月フォードに対するトランスアクセル、月産3万台の受託生産を行う旨の正式調印をへて54年5月に入ると、東洋工業は、その株式20%をフォードに譲渡し資本提携することになりました。


と同時に戦前から横浜に残存した在日フォードも吸収合併しました。


この目的は、経営難に悩む東洋工業が、55年以降の世界的な小型車戦略のなかで生きのびるため強力な支持体制を整えようとしたためであり、フォードもまた世界的な小型車戦略をひかえてアジアの基地として東洋工業を部品供給工場にしようとしたためでした。


プロフィール

  • HN鶇(つぐみ)
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  • 誕生日5月11日
  • 血液型B
  • 趣味旅行・おまけ収集
  • 性格ぐうたら
  • 好きな食べ物みかん