機甲本部を創設
産業政策は、この戦争目的のため動員され、生産力を拡充することになったから、自動車工業もこの産業政策、具体的には旧陸軍の機械化の要求にしたがって軍事産業化し、軍用トラックの増産、さらに航空機の生産にむかうことになったのです。
中古車情報によれば、旧陸軍は、欧米列強陸軍の現状を知っておそまきながらその機械化を急ぎはじめました。
とくに仮想敵国ソビエト極東軍が13戦車旅団、装甲自動車計三千数百輔をもつと推定されたため、いっそう機械化を急ぐことになりました。
そしてかねがね騎兵の機械化、すなわち昭和8年騎兵旅団へ装甲自動車隊を、10年騎兵集団(第一、四旅団を統合)へ装甲自動車隊を編成し、さらに12年装甲自動車隊を戦車隊に改組していた旧陸軍は、14年には騎兵集団の各部隊を自動車編成とし、16年4月には全く騎兵を廃止して新たに機甲部隊を拡充するため機甲本部を創設しました。